〜「レトルト・アキラ」より抜粋〜
「俺、塔矢と結婚したい」
それが、進藤の告白の言葉だった。
一
北斗杯が終わってから、僕と進藤は公式でもプライベートでも対局する機会が飛躍的に増えた。
それは僕がそうなるように努力した結果であったし、彼もまたそれを望んでいたから、僕は充実した幸せな毎日を送っていた。
時間さえあればうちの碁会所で打って熱くなり、いつの間にか二人だけ取り残されて、終電が行ってしまうと慌てたり、もう間に合わないと溜め息をついたり。
進藤の前でなら思い切り伸びもできるし、大あくびだって平気だ。
遠慮無くくつろげる相手が出来たのが嬉しかったし、そうできる間柄になれたのが誇らしかった。
彼は相変わらず秘密めいたところがあるし、競争心をバリバリ煽られる存在であるのも変わらないけど、何故か空気のように馴染んでしまうのだ。
いらいらさせられることも多いけど、一緒にいることで癒されている面もある。
…だけどある夜のこと、彼の一言がそれまでの満たされた関係を崩してしまったのだった。
いつものように碁会所で待ち合わせて夢中になって打っていると、気が付けばまたもや他の人は帰ってしまった後だった。
でもこの時間なら、急いで支度をすればまだ電車で帰れると進藤を振り返ると、彼は椅子に体をうずめたまま一向に動く気配がない。
その思い詰めた表情が気になって、僕はせかす言葉を飲み込んだ。
「どうした、何か言いたいことでもあるのか?」
すると彼は一言、こう言ったのだ。
「…俺、塔矢と結婚したい」
今までライバルとして、そして友だちとして付き合ってきたのに、いきなり愛の告白をされるなんてわかるわけない。
そもそも僕らは男同士なのだし。
だからまさか自分のことだとは思わなくて、僕は首をかしげながら聞いたのだ。
「へぇ、…それでトーヤさんってどんな人?碁は打つのかい?」
僕と同じ名前の女性と付き合ってるなんて初耳だと付け加えると、彼は突然ふくれっ面をして、人の顔に指を突きつけ「てめーのことだよ!」とどなったのだった。
僕は心外だった。
いきなり突拍子もないことを、しかも喧嘩ごしに言い出すなんて失礼にも程がある!
こと進藤が相手だと僕の感情はストレートに出る。
だから遠慮無く不機嫌な顔になって、精一杯ドスをきかせて言ってやった。
「一体なんの冗談だ」
「冗談なんかじゃねえよ!」
「なんだと?」
後はもう、気が付いたら取っ組み合いになっていて、結局、こういうことには経験不足な僕が床に押し倒されて、胸ぐらをつかまれてしまったのだった。
そのまま睨み合い、ハァハァと荒げた息が落ち着いた頃になって、進藤の大きな瞳がやたらキラキラしてると思ったら、いきなり屈みこんできて視界が暗くなり、そして、…唇に柔らかいものが押しつけられて、すぐに離れた。
その後、進藤は目元をこするような仕草をしながら立ち上がると、そのまま碁会所を出て行ってしまったのだった。
床を揺らしながら遠ざかる気配。
扉をこじ開け、廊下をバタバタと走る足音を茫然と聞きながら僕は一人取り残され、横たわっていた。
僕の頬に残るこの雫は進藤の流した汗だろうか、…それとも、涙……?
彼の本心を知りたいような、知ってしまうのが怖いような、そんな中途半端な気持ちを引きずったまま翌日棋院に赴くと、進藤は明らかに僕を避けていて、目を合わせないようにしていた。
向こうがそのつもりなら、僕だって無視してやる…!
そのまま仕事以外では顔を見ることも口をきくこともなく何日も過ごすうちに、何かが少しずつ僕から欠けていったのだった。